昭和50年06月08日 朝の御理解



 御理解 第32節
 「女が菜園に出て菜を抜く時に地を拝んで抜くと云う様な心になればおかげがある。又それを煮て食べる時、神様頂きますと云う様な心あらばあたることなし。」

 地を拝んで抜くと云う様な心、拝んで抜くと云う様な心が大事なんです、ね。野菜畠に出て大根なら大根を抜く時に、地を拝んで抜くと云う様な心、抜くと言う様な心が大事です。例えば事務なら事務をなさる時机の前に座った時に、机を拝み書類を拝みペンを拝み、硯を拝み筆を拝み一々拝めと言うのぢゃないです拝むと云う様な心なんです。様なが様な心になればおかげがあると、そう云う心掛けにおかげは頂ける事です。
 又それを煮て食べる時、神様頂きますと云う様な心あらば当たる事なし。それを煮て食する時に、神様頂きますと言う心あらば当たる事なし。私共日常生活の上において、決して美味しい物ばっかりじゃない。苦い物もありゃ臭い物もある。ひょっとすると是はちっと腐っとると云うな時があるかも知れん。けれども頂きますと云う心あらば当たることなしと。いろんな事柄が起きて参ります。本当に都合の良い事ばかり起きて来れれば良いのですけども、都合の悪い事やら困った事も起きて参ります。
 けれどもそれをです言うなら私共が頂きますと云う心あらば当たる事なし。困った事が困った事にならない。困ったかに見えとるその事が、おかげの元になるです。
菜園とか野菜とか食べるとかと云う事だけではありません。もう一切お道の信心のもうまぁ言うならば、根本的なおかげの受け得れる状態です。
 自分の都合のよか時、お願いしたお願い通りにおかげを受けた時きゃ有難い。願っても、願い通りにならなかった時には、それをおかげではないと云う思い方では、それをおかげと思う心、神様のお計らいと思うその心、それが例えば痛い思いをする時やら、損になる様な時がある時にはですそれも流れです。廻りのお取払い頂いて有難いと云う様な、そう云う頂き方なんですそう言う心あらば、その問題は決して困った結果にはならないと云う事。だからね、それに徹する事です。
 金光様の信心に徹する事の為の稽古です。仲々けれども出来ないです。昨日は総代会でした。まあ色々とお話しをさせて貰うたり、聞かして貰うた中に先日からもう二、三ケ月になるでしょうか、久富繁雄さん所の二番目の息子さんが、東京で長い間修行しまして技工士になっとります。家内もやっぱり偶然貰うた家内がやっぱり同じ仕事をしておる。こりゃーもう此処んとこ大変な色々おかげ頂いとられますけども、本当に偶然の一致とは、そう云う事だろうかと思う様に。だから二人で、その御用が出来る。
 あちらでも腕を買われて大変まぁ喜ばれとったですけれども、こんなに人に使われておるだけでは何んだから、一辺九州の方へ帰って、自分で開業したいと言うお願いの元に帰って見えた。まあ随分と高い機械なんかも買い揃えて、そして福岡に家をまぁ一軒構えて、そしてそのう始めたんです。所がですこの頃から赤ちゃんが出来ましたが、福岡の方へ来て見てまあ思う様にならないと言うか、随分あっちこっち外交にも回ったりしてるけど、一つも言うなら注文がない。
 とうとう何ケ月かの間にためとった金も遣い果たしてしまった。それで先日から電話が掛かって来た。生活費に困っとるからお金を四、五万一寸と貸しとって呉れんかと、言うて電話が掛かって来たと言うのです。その時に繁雄さんがその言うておられる事です。神様のおかげを此処まで頂いて、此処まで順調にならお繰合わせを言うなら、機械類も買い揃えたりして頂く事も、まあこの頃からは、無事に子供も安産のおかげを頂いて、おかげの中にある。
 それにお前が東京から帰って来て、言うなら自信たっぷりで帰って来た。自分達の腕がありゃ福岡でも、それこそどんどん仕事があると思うて帰って来た。お前達が帰って来て、そしてそこから例えば仕事がどんどんあるとするなら、お前は一生自分の腕に自惚れたり、自分の自信だけでやって行くだろう。是はねどげん考えても、これ程おかげを受けておるのに仕事がないと云う事は、愈々是は神様の御都合ぞと。
 だからお前だん本気で、夫婦で信心の稽古をさせて貰はにゃ出けん。福岡からお前やー夫婦で参って来い、神様にお縋りをさせて頂いてお願いをさして頂いて、して見れおかげになるが、と言うて返事を致しましたと言うておられます。それで先日のお月次祭にゃー皆んな親子三人で参って来とります。里のお母さんも連れ、里のお母っかさんもなら今見えとられます。
 そしたら翌日から仕事が頂き出したと言うのですから、ですからもうお父さんが言う通りおかげと云う訳なんです。本なごと自分は腕に自惚れとった。神様のおかげを頂かなければ出来る事じゃないなと言うておった。所が束の間今度は家内が、どうも手が膨れたり、足が膨れたりしだして、腫れだした。それで里のお母さんがびっくりされてから、早く医者に見せてやって下さい、病院に掛からして下さいと言うて、電話が掛かって来たけど。そりゃ相談に見えましたそうですから。
 そりゃ掛かっていけんの良いの言う段ぢゃなか、そりゃ早く見せて下さいと言うて、診せた所がそれは腎臓でもう一日も早く入院しなきゃいけないと言う事で、本当に神様がねお前達に本当な信心を解らして下さろうとして、神様があの手この手を使うて信心させて下さるぢゃないか、と言うたと云う話です。此処ん所のね地を拝んで抜く様な心、それを抜く時に神様頂きますと云う様な心とは、そう言う心だと私は思います。
 そりゃ困ったね仕事が無かじゃどうするかと、神様にお願いしとこう、是じゃいかんとです。困ったから神様にお願いするんじゃない。その困った事自体その事が実はおかげだと、言うならその事自体を、大地を拝んでおられる信心が素晴らしいです。おかげで昨日入院される事になりました。その事で又本当の言うならば本当の信心が出来るんだと言う事なんです。おかげで昨日入院あれを入院される事になりました。其の事で又本当の言うならば、信心が出来るのだと云う訳です。
 そこで向こうではそのう、一幸さんとそのう赤ちゃんと二人ですから、所謂土居の方に、婆ちゃんにちょっとばかり手伝いに来て呉れと云う事になりました。その事も昨日話て居られましたから、私くしがそれに対して申しました事で御座いますけれども、ね。今話しを聞いて頂いた、そこ迄は例えば女が菜園に出て菜を抜く時地を拝んで抜くと云う様な心になれば、おかげがあると云う所まで見事に出来られた訳です。
 所がまたそれを煮て食べる時、神様頂きますと言う様な心あらば当たる事なしと云う所が、それから昨日の繁雄さんのお話しになる訳です。あなたもうどげん考えたっちゃもう解らん、向こうのお母さんがあのう居んなさいます里のお母さんが、私の方は百姓で忙しいので解っとる。向こうは何にもしよんなさらんとじゃから。娘が入院したならばです、手伝いにゃ向こうのお母さんが手伝いには行って貰うとほんに良かけれども、まぁ行けち無理に頼みもしまっせんじゃったばってん。
 行きなさらんけん、とうとう家の婆さんが行きましたと云う。此処んにきが、ちっとばかり崩れ出しとる。ね。そげなこつ言うちからお前は、里の婆さんに来て貰えば良いじゃねえかと言いたい所なんです。けどもそこは繁雄さん、温和なしいもんだから、そげにゃ言うて居られない。そりゃなら仕様んなかたい、家の婆ばさんも忙しかばってやらじゃあこてと云う事になった。
 そして何とはなしに向こうのお母さんに、不平不足がましい心が起きておる訳であります。愈々それを煮て食する時、それを愈々煮て食べる時にですたい、それは美味しいの美味しくないのと言いよるのと同し事です。それで私が申しました。そりゃ繁雄さん、そりばってんがその方がおかげばのと私が申しました。なら例えば一幸さんが、向こうのお母さんが来らっしゃるとです。
 そう云うならまぁだ生活費でん遣い切ってしもうとる、要約仕事が初まって出て来たと言う時分にです、里のお母さんが来て御座るならば、何か美味かもんなっと作ってくれんのと言うごたる風に言うたり、ね、ケチケチもされない。けれどもさぁ里のお母さんが来てくれ、婆ばさんに来てもらやぁですたい、婆ばしゃん今日は漬物だけでんよかばのち言う風に言える。さぁ子供が泣きよる時に、お婆しゃん子供が泣きよるがのとも言える。ばってん里のお母さんであればそんな訳にゃ、一幸さんとしてはいけないよち。
 だからあんたを中心に考えると、里のお母さんが行って貰うと本んに良かばってんと、言おうごたるけれども一幸さんを中心にすると、そりゃあんた方の婆ばしゃんが行った方が、やっぱりおかげばいと言うて私が話た事です、ね。そりゃ日常茶飯事の中に、今繁雄さんの話を申しましたが、そう言う事が何時もあっているんだと言う事です。だから此処までは確かに、そう云う心になって居るんです。おかげが、ち。そりゃお前どんが仕事がなかちゃおかげぞと、お前どんがサア東京から帰って来た。
 家はあった機械は全部買い揃えた、それに仕事がどんどんあると言うならば、もうそれこそ、お前が増長してしまう。自分が腕に言うならば自信を、そのと云う事は自分の我力を信ずる様になったんではおかげにならん。神様ちゃ間違いないね。お前どんがいっちょー本気で願や、ちゃんとおかげを頂くが、此処までは素晴らしかった。例えばそう言う時に、一幸の方が今仕事がなかち言いよりますけん、折角帰って来とりますばってんか、どうぞ仕事があります事と願われたら、こりゃもう普通ですね。
 そげな事は願わっしゃらじゃった。もうあれどんが信心が出来ます様に、神様の御都合に間違いないと信じて、それをお届けなされました。そしてまたその一幸さんも素直ですから、早速なら親子夫婦でお詣りをして参りましたら、もうその翌日から仕事がずうっとあり出したとこう言うのです。ははぁやっぱり神様のおかげと云う事も解った。そこで今度は久富繁雄さんが、おかげを頂きなさらんならん番になった訳です。
 そしたら矢次早にです、確かにこの前月次祭にお参りした時にゃそれが顔が膨れても居らなければ、足が膨れても居らなかった。所が一昨日入院する前の晩に、こう言うての所なんてん大根のごと膨れとる。急に来た訳ですね。だからそこも言うなら神様ちゃ間違いないなぁ、矢次早に信心の稽古をさして下さると、それこそ抜く時に拝んで抜くと言う様な心になれば、と言うおかげを受けておられる。
 こりゃそう言う心にはおかげがある、ね。もうおかげがあるとこう断言して教えておられますからね。私共がその問題の性質をよく良く見らなければいけません。そしてそれは目の前は損になっとるごたるけれども、是は神様の御神慮には違いはないと、そう言う心になると云う事です。そう云う心になればあたる事なし、どうぞここから助けて下さい、おかげにして下さいと云う願いじゃない。
 是りゃおかげと云う心になっとる。そして後の言うなら世話に行く留守番に婆ばさんが行きなさったという、その時点から少し狂い出して来た。けれどもです。そういう時に例え婆ばさんがそげん言うて不足を言うても今度は、どうして忙しか時向こうん婆ばしゃまが行って貰うと良かばってんのうやち、例えばよしその婆ばしゃまが言うた時にです、そげな事があるもんかそれはおかげがち、と言うて居られたら此処にき完璧ですね。そりゃ本なごっちゃんね、ち言うて一緒に悔んどる。
 もう兎に角ギリギリ最後の最後まで、煮て食する時にです、神様頂きますそう言う例えば自分方が忙しいね、忙しいけれどもです、まぁ息子がそげん言うて電話掛けて来たんなら、そりゃやらせて頂けと。ね。そして神様こう云う忙しい中ですけれども、息子がこげん言うて来とりますから、どうぞよろしくお願い致します、やらせて頂きますと云う心有らばあたる事なし。
 そう言う私は頂き方になったら、婆ばさんが居らんでん、チャンとお繰合わせ頂くです。そう言う心になれば、ね、教祖もそう仰っとられる。神様頂きますその事柄もです、有難く頂きますと言う心あらばです、あたる事なしと仰るのですから、後に差し支えのあるおかげには絶対なって来んのです。婆ばさんお前が居らじゃったばってん、万事万端にご都合お繰合わせ頂いて、おかげ頂いたと云う事になる。
 言うなら嫁ごのその病気の方にまで、おかげが潤うて行くに違いない、金光様のご信心はそう云う様なです頂き方を、愈々徹底して身に付けて行く事です。お互い自分の信心を思うて見て、言うならまあ繁雄さんですら、そこの半分は出来て、半分がちょっとこう乱れて来ていると云う感じですから、此処ん所をもっと念の入った頂き方、言うならば心の状態と云う物を、もう少し一の太刀は見事に受け止めた、二の太刀も見事有難いで受けた、三の太刀でちっとはよろよろしたと云う感じであります。
 それが日々お互いは繰り返しなんです。そしてそれが自分の物になってしまう時です、所謂一切が有難い、有難いと言う心になるから、有難い有難いと言わにゃおられん、おかげが愈々続くのです。日常茶飯事の中にです、愈々ここん所に焦点を置いて、菜を抜く時にゃぁ先ず大地を拝む様な心と拝む、め、じゃないです拝む様な心です。はぁ一々こうやって拝まにゃんちゅう事じゃないです。
 そう言う心です地を拝んで抜くと云う様な心になればおかげがある、そう云う心になればおかげになると、おかげがあると仰る。またそれを煮て食する時、神様頂きますと云う心あらば、どう云う問題でも、それは苦い問題かも知れません、けれどもね、この苦い事こそ心の胃腸を治して下さるんだと。思うて苦う御座いますけれども、是が体に効く物ならばです頂きますと。
 苦いけど頂きますと言う心になれば、障る事がない、と云うおかげになって来るのですからね。もうそう言う稽古をさせて頂く日々であるとするならね、兎に角楽しいです有難いです。一日を締めくくった時にです、今日も一日あれもおかげ是もおかげ、有難い有難いで受け取せて頂いた一日である時です、信心させて頂く者の愈々喜びは、もういやが上にも募って来る事でしょう。そういう信心生活にならせて頂きたいですね。
   どうぞ。